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イエス・キリストご自身の顕れによる、イランでの霊の覚醒

イランのビリー・グラハム

今日イランで驚くべき奇蹟が起こっています。
シーア派イスラム教国のイランで、キリスト信仰が爆発的に広がっているのです。
イラン人ホルモズ・シャリアト氏の宣教活動の証しを、トロイ・アンダーソン氏の手記でご紹介します。
この奇蹟は、人の技、努力ではなく、キリストご自身が関わっておられますから、日本にも起こりうることです。この証しを読んで、日本の方たちの魂の救いのために、日本にもキリストご自身が働いてくださるようにと、祈り求めることの大切さを感じられた方は多いのではないかと思います。
日本にもヨエル書2:28-29の預言が成就することを信じ、祈りましょう!
その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。

トロイ・アンダーソンの手記


2014年4月1日記 ー敬称はすべて省略ー
 
イランのアメリカ大使館人質事件(1979年11月)から程なくして、当局はホルモズ・シャリアトの弟で十六歳の少年を軽い政治的犯罪の廉(かど)で逮捕した。当時、ホルモズ・シャリアトはアメリカでキリスト教の信者となり、政治活動家の弟はモジャーヘディーネ(イランの反体制武装組織でイスラム社会主義を唱える)に属していたが、弟は大した役割を担っていたわけではなかったので、シャリアトは弟がすぐにも釈放されると信じて疑わなかった。
ところが投獄後二年経った1984年にシャリアトの弟は銃撃隊によって処刑されてしまった。その知らせを聞いたシャリアトは打ちひしがれ、涙ながらに「どうしてあなたは弟の処刑を許されたのですか」と、神に訴えた。

シャリアトは神にも弟を殺害した者たちにも、憤りを抑えることができなかった。数日経って、シャリアトは神に復讐をしたいと語りかけた。しかしそのとき彼は、申命記32章35節と、ローマ人12章19節の御言葉(みことば)「復讐と報いとは、わたしのもの」を思い出した。それでも彼は「弟を殺した者たちが憎い」と、訴えた。しかしそのとき、彼はイエスが「兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません」(マタイ5章21-22節)と言われたことを思い出した。

シャリアトは、祈りの中で、主が自分に次のように語られたのを感じた。
「あなたは敵がだれなのか知っているのか? イランの聖職者たち、指導者たちは、あなたの敵ではない。彼らは道に迷った子どもたちだ。敵はただひとり。サタンだ。あなたがサタンに傷を負わせたいなら、伝道をすることだ。人々をキリストに導くことがサタンをひどく痛めつけることになる」と。
そのとき、シャリアトは、残りの人生を福音宣教にささげる決意をした。彼は言う。「私は生涯を終えるまでに百万人のイスラム教徒を主に導くというビジョンを持ちました。また、聖書の神の愛の力に勝るものは何もなく、私たちはイスラム教を放棄し、イスラム教徒をその束縛から解き放たなければならないことを知ったのです」と。

イエスのビジョン

シャリアトが献身の決意をしてからの三十年間、―伝道者でベストセラー作家のヨエル・ローゼンベルクは彼のことを「イランのビリー・グラハム」と呼んでいるが―、シャリアトは、まさに、自らのゴールが実を結ぶのを見てきた。それだけではない。現代において、最大ともいえる驚くべき超自然的な現象を最前列の席で目撃することが許されてきたのであった。
何と、イランおよび中東の何千という人々が、夢とビジョンの中でイエスが顕れた、と報告しているのである。
2001年に、衛星放送ミニストリー“Iran Alive Ministries”を立ち上げたシャリアトは、「ただ驚きです」と語り出し、「神は恵み深くも、夢、ビジョン、そして奇蹟を通して人々に顕われておられます。人々はイエスの夢やビジョンを見、たまたま私たちの衛星テレビ放送に出会い、福音を聞き、そして信仰に入ります。夢やビジョンを見ることで、福音を聞く準備ができるのです。また、私たちのテレビ番組を見て、これは真実だろうかと疑問をもったあと、夢やビジョンを見、聞いたことが真実であると確認する場合もあるのです」と続けた。
シャリアトは、神が西欧のキリスト者に、明確に次のメッセージを語っておられると信じている。「あなたがたはイスラム教徒を救いの望みのないテロリストとして見ている。あなたがたはそのように彼らを見ているのか。しかし、わたしはそうではない。わたしを見よ。わたしは彼らの前に顕れている。わたし自ら、そうしている。あなたがたはわたしと一緒になって、イスラム教徒に救いの手を差しのべようと思わないのか」と。
ローゼンベルクは、彼の著書“Inside the Revolution(革命の内幕)”の中で、この夢とビジョンの現象について、「この現象の広がりに興奮せずにはおられない。ヨエル書2章の『終わりの日には、主が聖霊を注がれ、人々は夢とビジョンを見るであろう』の預言通りだ」と書いている。

信仰の爆発

作家ローゼンベルクは、イランでの人質事件が1981年に終結して以来、イランにおけるクリスチャン人口は、五百人から百万人に爆発的に増加したと言う。シャリアトは、それ以上と言う。
イランは、人口七千六百万人の世界唯一の神政国家(アラーの神を信奉)で、“Operation World’s manual(全世界向け祈りの手引書)”の最新版によれば、イランのクリスチャン人口は世界中で最も急速に増加しているとのことで、このことを考慮すれば、イランのクリスチャン人口は百万人をはるかに超えているのではないかと思われる。
事実、イスラム革命以来三十五年間で、以前にもまして多くのペルシャ人がキリストを受け入れ、その数は革命以前の千四百年間に救われた人数より多く、これら改宗者の多くは、この最近の十年間で救われ、推定六千二百万の人々が衛星テレビ放送を通して福音を聞いたのであった。

2012年1月、イラン、中東、北アフリカ、ヨーロッパに衛星放送ネットワーク“Network 7、Iran Alive’s 24/7”を立ち上げたシャリアトは、イランのクリスチャン人口は三~五百万人と見積もられているようだと言う。しかし、彼の放送により、どれだけ多くの人々がキリストに導かれたかを推定するのは困難とのことだ。それは、イランの人々の電話は制御下に置かれているため、彼のクリスチャン・ミニストリーに電話をすることは難しく、料金も高いからである。
「にもかかわらず」と彼は言い、「十二年間の衛星放送を通して、二万七千人の人々がイエスを受け入れたいので祈ってほしいとか、放送を通してイエスを受け入れたことを暗示するような電話をかけてきたのです。私たちのところに電話をかけてはきませんでしたが、おそらく、その十倍近くの人々がイエスを受け入れる決意をしたのではないかと思われます」と続けた。
この衛星放送テレビ番組の潜在視聴者の数は一億人にも上り、シャリアトは所定の時間に三~六百万人がこの番組を見ていると推測している。

キリスト信仰への渇望

アメリカを「大魔王」、イスラエルを「小魔王」と呼び、両国の絶滅を叫び、核兵器開発を推し進めていると信じられているこのイスラム教国イランで、キリスト信仰が広がっていることは、近年の中東での最大の驚異的進展に数えることができる。イランでの、ローゼンベルクのいう「歴史的な霊の覚醒」にはいろいろな要因があると思われるが、信仰の指導者たちは、シャリアトの衛星放送が重要な役割を演じてきたと言っている。ローゼンベルクも、「衛星テレビ放送はイランでの社会通念・ルール、価値観などに変革をもたらし、シャリアトはその最前線にいる」と語る。

カリフォルニア州サニーベイルにあるイランキリスト教会(カミルとシャリアトの共同設立)のカミル・ナバイ牧師は、「シャリアトは油注がれたミニストリーを実践しており、神は彼を用いておられる。彼はダビデのようだ。たった一つの石と石投げでイスラムという巨人に立ち向かっている」と話す。
同じく、カリフォルニア州サンノゼにある“GateWay City Church”のデイビッド・カニストラシ牧師は長年シャリアトの友人で、次のように語る。「信仰を熱く求めているイランの人々にとって、シャリアトは彼らの最大の希望である。シャリアトは私に、世の人々は、イラン人を街頭で『アメリカに死を』と唱える狂信的な人々と思いがちだが、それは、イランの国営ニュースというフィルターを通しての情報であること、イスラム教はもともとイラン固有の宗教ではなく、イランにはキリスト教のほうが先に伝わっていたことを指摘してくれた。イランの人々の心は自由を求めている」と。
事実、七世紀まではイランにイスラム教は存在しなかった。
さらにカニストラシ牧師は続けて、「七世紀前に、キリストの福音はイランに浸透していた。しかし、イランはイスラム教徒に侵略され、剣によってイスラム教が取って代わった。今日、イランの人々はキリスト教を渇望している。このことが、キリスト教テレビ番組の視聴が高くなっている理由である。シャリアトは、そのようなイランの霊的真空状態に足を踏み入れたのであり、彼はまさに、格好の場所、タイミングで活動している」と語った。

単純な信仰

シャリアトは1955年9月9日、イランのテヘランでイスラム教徒の家庭に生まれた。彼はかなり敬虔なイスラム教徒として育ったが、十代になったとき、イスラム教の信仰に疑問を持ち始めた。
「私は考え始めていました。私の従っている宗教とは一体、何なのだろうか?と。私はそのような疑問ともいえる祈りを繰り返していました。それは私の人生に何ももたらさなかったし、私自身、変えられてもいない。私には平安がない。喜びがない。神の存在を経験したわけでもない…」と、シャリアトは振り返る。「そうだ。こんなことをするのはやめて、勉強に集中して良い人になろう」。

彼は、1979年のイランでのイスラム革命のあと、妻のドンネルとともに“Southern California”大学でコンピューター工学の博士号をとるためにアメリカにやってきた。イスラム革命は、彼の霊的渇望を呼びさまし、シャリアトは聖書を読み始めた。
その頃を回顧して彼は言う。「私は聖書の各々の聖句の意味がわからず、まさに聖書と格闘していました。『イエスとはだれ?』その頃の私の考えでは、宗教はどの宗教でも同じでした。しかし、コーランと聖書を読めば読むほど、両方とも真実ではない、矛盾だらけではないかと感じるばかりだったのです」と。
このようなジレンマに苦しみ、しばらくしてから、シャリアトは1980年、ロスアンゼルスのダウンタウンで、建物に大きな文字で“Jesus Saves(イエスは救いたもう)“と書かれた教会に通い始めた。
シャリアトは次のように話す。「答えを得ようとその教会に行きました。数週間して、私は教会のメッセージは単純だと気がついたのです。すなわち、あなたは罪人(つみびと)であり、神はあなたを愛しておられる、という単純な真理を信じることなのだ、と。私はイエスの『山上の垂訓』を読んで、私たち全ての人々が罪人であることを知ったのです。福音の基本的なメッセージは論理的で、私はこの福音に従ってみようと思い、『イエスさま、どうか私の心に、そして、私の人生に入ってきてください』と主に語りかけたのです」

希望の衛星放送

1987年に博士号取得後、シャリアトはサンノゼで人工知能を研究する仕事に就いた。彼と妻は当初、数人で“house church(家の教会)”をスタートさせた。ところが、それが急激に大きくなり数百人のイスラム教からの改宗者が集まるようになり、今では米国のイラン系キリスト教会の中では大教会のうちの一つにまでなっている。
彼はその後、北カリフォルニアのイラン人イスラム教徒が住む地域で複数の教会を設立し、2001年には“Iran Alive Ministries”を立ち上げた。2001年9月11日、ニューヨークで起きたあの貿易センタービル、テロ攻撃の後ほどなくして、イランで最初のシャリアトの衛星放送が始まった。

シャリアトは語る。「衛星放送を始めた初日から、人々の反応は驚くべきものでした。テレビはイランの人々にとって必需品です。キリスト教テレビ番組は娯楽ではないのですが、にもかかわらず、数百件の電話がかかってきました。それが彼らにとって唯一の希望の源だからです」と。シャリアトによれば、イランでは衛星テレビ用アンテナの設置は違法であるが、イラン人の80%以上が衛星テレビ放送を視聴しているのである。
シャリアトは続けて、「最近、イランから戻ってきた友人の一人が、遊牧民のベドウィン族のテントに衛星テレビ用アンテナが付いている写真を見せてくれました。彼らには水道設備はありません。でも、発電機付き衛星テレビ用アンテナは持っているのです。それが彼らにとって、外部世界とつなぐ唯一の手段なのです」と語った。
2003年、シャリアトのミニストリーは、イランでの地下教会の建設に関わるようになった。近年、何百という“house church”のリーダーが逮捕され、その中にはシャリアトの姪と結婚したアメリカ人牧師も含まれている。彼が今後どうなるかは世界のメディアが注目するところだが、いまだにイランのおぞましい刑務所に入れられたままになっている。
シャリアトの話では、イランの現体制が誕生してから四十年ほど経過したが、イランの多くの人々はイスラム教が答えではないと結論づけている。彼らは「現体制は問題あり」と見ているのだ。その理由は彼らの惨めな生活であり、多くの人々が、政府の迫害にもかかわらず、キリスト教に目を向けている。
シャリアトは続けて、「私はイラン人の中に、それも若者の間に、新しい動き、新しい思考体系が生まれているのを見ています。『もし未来を望むなら、イスラム教を捨てなければならない』という趣旨の若者のブログを多く読むようになっているのです。イスラム教は今、イスラム史上最大の敗北を味わっている、と私は思います。それは、もう元に戻すことができないほど広く深く浸透しているのです」と語った。

魂の戦い

シャリアトは、アメリカで最も愛されている伝道者に必然的に関連づけられる。
ローゼンベルクは次のように語る。「シャリアトがペルシャ語圏諸国に与えている影響力は、二十世紀の大半、神がいかに大きくビリー・グラハムを用いられたかになぞらえることができる。もちろん両者に違いはある。ビリー・グラハムは福音を伝えるのにテレビやラジオを用いたばかりでなく、スタジアムも利用した。シャリアトの場合、イランのスタジアムを使用しない。しかし、彼は地球規模の衛星テレビ工学の奇蹟を駆使して、イラン政府とイスラム教組織を飛び越えて福音の電波をイランの各家庭に届けることができる。それはこの十年間でとてつもない進展を遂げ、イランのような閉鎖社会に前例のない方法で、まさに福音宣教の扉を開いたのである。現時点で、イランの人々の魂のために、宇宙的、超自然的な戦いが続いている。キリストが勝利するであろうが、サタンは激しく戦っている。これは、今起こっていることについて私が感じていることである」と。
また、「イランで何が起きているかを理解することは、なぞ解きをするようなものである。イランの指導者たちは現在、おそらく地球上で最も邪悪で危険な政治を行っている。彼らは
イスラエルとアメリカに向けて核弾頭を発射できるよう、その手段の獲得に熱狂、躍起になっている。同時に、ますます多くのイランの人々が主イエス・キリストを信じるようになっており、イスラム史のどの時期よりもイスラム教を放棄するようになっている。これら二つの事実が今イランで同時に起きており、実に複雑、興味深い途上にある」と。

皮肉なことに、ますます多くのイラン人がキリスト信仰に至っているのに、イランの指導者層はイスラエルを絶滅しようと準備しているのである。ローゼンベルクは続けた。「エゼキエル書38-39章とエレミヤ書49章の預言は、イランの指導者たちに神の裁きが下ることを示していると私は思う。同時に私は、これらの預言が、イランにも大いなる霊的覚醒とリバイバルが起こることも示していると、信じている」と。

預言者エゼキエルは、世の終わりのゴグ、マゴグの戦いを予知した。それはロシア、イラン、その他の国々の連合軍がイスラエルを攻撃する戦いの預言と解釈されている。
さらに、ローゼンベルクは、エレミヤ書49章のエラムに対する神の怒りは、現代のイランに言及するものであると言う。「私は、エレミヤ書49章の預言に基づいて、遠くない将来、かつて経験したことがないほど多くの宣教師がイランから世界に送られ、終わりのときに、キリストがご自分の霊の王座をそこに移されることは間違いないと信じる。それは実にわくわくするような展開である。だからこそ、私たち西欧諸国の信仰者は、彼らのうちには、裁かれる人たちもいるだろうが、キリスト信仰に導かれ、神が世界宣教に用いられる人たちもいることを知って、イランの私たちの敵のために祈る必要がある」と。

シャリアトもまた、“Iran Alive’s”宣教を通して、現世代のイランがキリスト教国家に変容し、世の終わりには、大規模なキリスト教国になると信じている。
シャリアトは言う。「私たちはその可能性を信じています。このことはすでに猛スピードで起こっており、その可能性は高いのです。西欧諸国のキリスト者もともに力を合わせる必要があります。もし私たちが備え、力を合わせるなら、一世代、三十年から四十年で、イランがキリスト教国になるのを見る可能性は非常に高いでしょう」と。
シャリアトは、それが一人、あるいは、一つのミニストリーで達成できることではないことを知っている。彼は、イランおよび中東に福音で衝撃を与える歴史的な窓が今、開かれていると言い、「でも、それが永久に続くことはないのです。この仕事は一つのミニストリーだけでは到底成し遂げられない大仕事です。ですから、私は今、私たちの兄弟姉妹の皆さんに、イランと中東を福音で変容させる私たちの働きに加わってもらいたいと、あの『マケドニヤ人の懇願』を働きかけているのです」と締めくくった。

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*『マケドニヤ人の懇願』
  使徒の働き16:6-10
  第二次宣教旅行(50CE秋、―49~52CE-)中のパウロ一行がトロアスに下ったとき、パウロは一人のマケドニヤ人が「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願するビジョンを見た
  同労者ルカを含めたパウロ一行は「神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだと確信し」、この懇願に応じ、ただちにマケドニヤに向かったのであった