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第252号  コロサイ人2:1-10

キリストご自身の顕れと霊の覚醒

昨今のキリストご自身の御働きは至る所で顕著で、神の預言、御言葉の正しさが立証され、広義の聖書解釈の的が絞られ、御言葉が一層明確になってきています...

あなたがたとラオデキヤの人たちと、そのほか直接私の顔を見たことのない人たちのためにも、私がどんなに苦闘しているか、知ってほしいと思います。それは、この人たちが心に励ましを受け、愛によって結び合わされ、理解をもって豊かな全き確信に達し、神の奥義であるキリストを真に知るようになるためです。このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。私がこう言うのは、だれもまことしやかな議論によって、あなたがたをあやまちに導くことのないためです。私は、肉体においては離れていても、霊においてはあなたがたといっしょにいて、あなたがたの秩序とキリストに対する堅い信仰とを見て喜んでいます。あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい。キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。
あのむなしい、だましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。それは人の言い伝えによるもの、この世の幼稚な教えによるものであって、キリストによるものではありません。キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。そしてあなたがたは、キリストにあって、満ち満ちているのです。キリストはすべての支配と権威のかしらです。    コロサイ人2:1-10

今日、世界中で最もキリスト信仰への覚醒が起こっているのは、中東のイスラム教徒とユダヤ人の間であるといわれています。戦闘、宗教間の対立が絶えず、迫害や圧政、苦しみの中で真理を求めている人たちに、イエス・キリストがご自身を顕され、霊の覚醒、真理への解放が起こっているのです。この世の終わり、キリストは確かにさまざまな形でご自身を顕され、聖書が証しする神の言葉の正しさを伝えておられます。昨今のキリストご自身の御働きは至る所で顕著で、神の預言、御言葉の正しさが立証され、広義の聖書解釈の的が絞られ、御言葉が一層明確になってきています。

ちょうど二千年前、エルサレムからエマオへの途上で、ヘブル語(旧約)聖書の諸預言とキリストの教えを明確に理解できず、エルサレムで起こったキリストの十字架刑による死と埋葬、三日後の空の墓の意味を思いあぐねていた二人の弟子に、キリストが、甦られた日の午後突然姿を顕され、「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光に入るはずではなかったのですか」と言われ、「モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた」(ルカ24:25-27)ように、今日、キリストは、全人類に語りかけておられます。

使徒パウロはこのキリスト、―「神の奥義であるキリスト…このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されている」― と、純粋な福音を宣べ伝えるために心血を注ぎ、生命をかけて労していることを、冒頭に引用した『コロサイ人への手紙』のくだりで吐露しています。
すべての人は「だましごとの哲学…人の言い伝え…この世の幼稚な教え」に耳を傾けるのではなく、神の言葉、聖書が証しするキリスト、神の啓示を聞かなければならないのです。被造物が創造の秩序、創造者の教えに反逆するとき、待ち構えているのは堕落と滅びです。神の愛と真理に目覚めた者は、パウロやキリストの弟子たちがそうであったように、キリストを受け入れた者すべての内に宿る神の霊、内住のキリストの働きによって自発的に、同胞の救いと世界宣教に駆り出されるのです。

フルダミニストリーの九月の『生きるを考える』の集いでは、数学者ジョン・パーカー師から、「どのようにして神から聞くことができるのだろうか」について、実践を兼ねてのメッセージを伺いました。キリストを受け入れたすべての者、一人ひとりに語っておられる神の声を個々人が聞き、御旨に従って今を正しく生きることは必須です。世界中が直面している昨今の深刻な問題は、国家を正しく方向づけ、導くことのできる指導者不足と、神の秩序、掟から急速に離れ、代わりに人の志向に合わせた掟を正当化し、定義を大きく変えている今の時代の風潮です。

預言者エレミヤは、神の御旨が何であるかを聞き分けることができず、罪のゆえに国家滅亡という危機が迫っているのに「身分の低い者から高い者まで、みな利得をむさぼり、預言者から祭司に至るまで、みな偽りを行って…平安だ、平安だ」(エレミヤ書6:13-14)とうそぶき、自分勝手なことにふけり現実逃避していた神の民イスラエルに、
「四辻に立って見渡し、昔からの通り道、幸いの道はどこにあるのかを尋ね、それを歩んで、あなたがたのいこいを見いだせ」(6:16)
と、神の御旨を伝えました。

神が聖書に証しされた道、イスラエルの族長たち、信仰の先達が歩んできた道がイスラエルの民にとって唯一の幸いの道であったにもかかわらず、頑なに我が道を歩んだイスラエルは、神の警告通り、エレミヤの時代、ユダ王国滅亡、バビロン捕囚の憂き目に遭ったのでした。

中東、米国、英国、欧州をはじめ、日本も、強力な軍事国家との連合が国家を守る唯一の道と信じる誤った世相にたぶらかされて、軍国主義復興の危険路線を歩み始めていますが、創造者なる神の御旨に従い、平和路線を踏襲し、神の守りにすべてを委ねることが国家を守る唯一の道、真理なのです。

聖書は、イスラエルの民に神がどのように働かれたか、守りの約束をどのように成就されたかの証しで満ちている歴史書です。反逆の王の治世時には懲らしめを、従順な王の治世時には超自然的な御介入による守りが与えられ、指導者たちの影響はその治世時だけでなく、続く諸世代にも及ぼされたことがそこには赤裸々に描かれているのです。

歴史書であり、預言書である聖書の信憑性についてはこれまでに何度も考察してきましたが、この聖書は、私たちの未来を明確に告げ、保障している唯一の書です。
日本の皆さん、平和を愛する神の御旨が反映された「平和憲法」を堅持するか否かについて確固とした意見を持っておられますか。

正しい見解に立つためには、「だましごとの哲学…人の言い伝え…この世の幼稚な教え」ではなく、絶対基準を掲げているこの神の言葉に耳を傾けなければならないときが来ています。二千年前に比べれば、人間史の終焉がはるかに近い今日、キリストご自身との出会いによる回心の証しが増えています。
まだ聖書を読んだことのない方はぜひ聖書と同時に「心」を開き、神のメッセージを受け入れていただきたいと思います。
以下の驚くべき出来事は、昨今のキリストの顕れの興味深い一例です。

アナベルに起こった奇蹟

ーイエス・キリストとの出会い、地への生還、不治の病の完治ー
2011年の12月、九歳の少女アナベル・ビームは、テキサス州の自宅の庭で姉妹たちと遊んでいたとき、足を滑らし、空洞になっていたハコヤナギの大木の中を真っ逆さまに木の底まで9m転落という恐ろしい事故に遭った。母親のクリスティはアナベルが三度頭を幹にぶつけて落下していく恐怖を目撃したが、そのことはMRIの結果で確かめられた。にもかかわらず、この落下時の大変な衝撃のほかには、表面的なこぶとかすり傷を負っただけで、アナベルにはそれ以外の何の外傷もなかった。落下時の頭部への激しい衝撃で何らかの損傷を受けたのではないかとの恐れも、MRI、X線、CTスキャンの結果、払しょくされた。

しかし、アナベルに起こった奇蹟はこれだけではなかった。アナベルは、事故の直後、意識を失っていた六時間の間、自分が経験したビジョン、―天に行き、キリストの膝の上に座って、「痛みのない天国におりたい」と願ったとき、キリストが「あなたのときはまだ来ていない」と答えられ、実際主が約束されたように、木のほらから救出される間、小さな妖精のような守護天使が彼女とともにそこに座っていたこと― を話した。さらに驚くべきことに、事故の後、一週間ほど経ったとき、彼女が幼少時から数年間患っていた不治の病、―食物を消化することができない、非常にまれで治療法のない腸の障害― から完全に癒されていることに気づいたのであった。

アナベルは五歳のとき、二つのまれな病、腸を詰まらせる生命にかかわる消化障害、―偽性閉塞運動性障害と洞性低運動性障害― を患っていると診断され、それ以降、ほぼ常時の痛みに苦しみ、固形物は一切食べることができない状態で、観血的なテストとほとんど効果が見込めない治療のため、頻繁な病院通いが続いていたのであった。そのような過酷な幼少時代のある時点で幼いアナベルは、母クリスティに「死んで天に行きたい。天国ではもう痛みがないから」と話したという。

アナベルの主治医は、事故以降の彼女の慢性病からの突然の癒しの説明に窮し、戸惑いながらも「奇蹟」とは呼ばず、しかし、2014年の11月、「アナベルには症状は全くなく、通常の生活に戻っており、もはや何の治療も必要ない」と言明し、彼女を治療から解放した。アナベルの母クリスティは、2015年にアナベルの奇蹟をつづった著書『天からの奇蹟』を出版、今年3月には、それに基づいた映画も公開される運びになった。

昨年の4月、クリスティと十二歳のアナベルを交えたフォックスニューズのインタービューで、クリスティの著書と映画が紹介された。アナベルは心的、感情的にも、また、学業にも優れ、すべての分野で幸せ、健康、通常の食生活、薬とは無縁の活気ある人生を楽しんでいることが伝えられた。事故前の彼女の消化器には神経損傷があり、神経が筋肉にメッセージを伝えることができないため、脳に送られた命令に同調して胃腸の筋肉が動き出すことができない状態であった。しかし、急降下の転落は、神経組織の中の何かを圧迫、刺激したのか、奇蹟的な機能回復をもたらしたかのようであったと、クリスティは当時を振り返った。
著書の中で、当初「奇蹟」という言葉を用いるのをためらったと記されていることを指摘され、クリスティは、形勢がいつ何時逆転するかもしれないとの不安があったことを告白した。しかし、神は「さあ、希望を与えた、驚くがよい!」、「あれはほんの冗談だった」というように戯れる方ではないとの確信を得たとき、その恐れは克服できた。

さらにアナベルが天に行き、戻ってきたとの確信をどのようにして得たかの質問に、クリスティは、長女とアナベルとの間に二度の流産があったことに言及して、神がもう一人の子を授けてくださるとの「信仰」を持ち続け、その結果生まれたのがアナベルであったと語った。アナベルが、天で小さな子に会い、キリストがその子は妹だと告げたことを話したことはクリスティには驚きであった。厳密には、二度の流産のうちの一つは、「卵子の荒廃」と呼ばれる状態でそこに生命はなかったが、もう一つの流産はすでに生命が芽生えていて失われたものであった。アナベルには二度の流産について話してあったが、その詳細は何も語られていなかったのである。アナベルはまた、2010年に腸管閉塞に対する手術後死亡した曾祖母をも天で見たと語ったのであった。

クリスティはアナベルに不治の病が診断され、苦しむ我が子の絶望的な状態に遭遇したときしばらくの間、信仰を失ったが、教会、信仰生活に復帰、家族中の信仰は今や、周りの人たちに真の神を告げ知らせることに向けられている。

御言葉の立証

あなたがたは、この小さい者たちを、ひとりでも見下げたりしないように気をつけなさい。まことに、あなたがたに告げます。彼らの天の御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです。 (マタイ18:10)
まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。 (詩篇91:11)
神は今も子どもたちの周りに少なくとも一人の守護天使を遣わし守り、実に驚くべきユニークな方法で救いをもたらされることを語っておられますが、アナベルに起こった奇蹟はまさにマタイ18:10ほかの立証です。