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Yさんの証し その16

熊本地震から一ヶ月

13th May '16
頌主 
5月月報をありがとうございました。じっくりと読ませて頂きました。
主にある姉妹との出会いにあらためて主に感謝致します。

阿蘇に家のある両親は、兄夫婦の子どもたちの世話のため、昨年八月から関東地方に生活の中心を移していたため、被災を免れました。家屋は立て続けに起きた強度の地震のため、相当なDamage(被害)を被っている模様です。

阿蘇に心の拠り所を求めていた母はすっかり意気消沈し、風邪をこじらせてしまいました。
どのように励ましの言葉をかけて良いのかわからずためらいながら、母にユダヤの民の歴史を少しだけ話しました。

ユダヤの民が何世紀もの間凄まじい迫害に耐え、天災をはじめ様々な困難を乗り越えて来られたのは、彼らが何よりも主のみに信頼し、いつ没収されるかわからない土地や物ではなく、自分の身につけるものだけで裸一貫にさせられても、それでもなお、他人や災難が奪い去ることのできない知恵、知識や技術の獲得に心血を注いできたことが挙げられるかもしれません。
絶望に襲われるような状況の中にありながら、「律法」を胸に、心のバランスを保ち、どんなときも希望を見失わないでいること、これこそが主に信頼するユダヤの民の知恵の結晶だと思います。

Rabbi Bunam(ラビ、ブナム)は、弟子たちに次のように語りました。
We should all have two pockets, so that we can reach into one or the other according to our need. In our right pocket there should be a piece of paper saying, 'For my sake, was the world created', and  in the left, ' I am but dust and ashes' (私たちはみな、必要に応じてどちらかから取り出すことができるように、二つのポケットを持っているべきである。右のポケットには、『私のために、この世は造られた』と書かれた一枚の紙が入っている。左のポケットには、『私はちりあくたにすぎない』と書かれた紙が)と。

何事も不確かなこの時代、今日の私たちがユダヤの民の知恵から学べることは沢山ありそうです。

皆さまの上により一層豊かな主の祝福が注がれますように。

Y

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